40年の足跡

【 県内初、農業構造改善事業モデル地区に指定 】

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昭 和30年代前半の農作業は、大部分を牛馬や手作業で行っており、わずかに稲、麦、大豆などの脱穀作業が機械化されたにすぎなかった。柴田町の農業経営状況 は、一戸当たりの耕作面積が少なく、米を中心に、主に麦や大豆などの作物を栽培しており、農産物の商品化率が低かった。農業従事者一人当たりの生産額は9 万8千円で、他産業従事者に比べると低所得であり、農業の機械化が遅れているなど、さまざまな問題を抱えていた。

このような非効率的な生産状況の改善を図り、農業の近代化を進めようと、昭和36年、農林省は農業基本法を制定し、農業構造改善事業の推進を図った。宮城 県内からは昭和37年度分として11市町が指定され、泉南では角田市と柴田町が指定を受けた。町では、農林省指定に先立つ昭和35年に、「土地条件の改 善、労働時間の短縮、生活水準の向上、大型機械の導入と町ぐるみでの特産品づくり」などを施策とする事業にすでに着手していたので、事業計画樹立町として 指定を受けると、早速事業に取り掛かることが出来た。

柴田町の農業構造改善事業実施計画構想は、富上、葉坂、船迫の山地区に、米、りんご、露地及び温室野菜を基幹作物として、新生産方式による農業経営の近代 化を目指そうというもの。事業導入当初のさまざまな試行錯誤や真剣な取り組みが功を奏し、事業もしだいに軌道に乗るようになると、モデル地区以外でもビ ニールハウスが建設されるようになり、町でもこの取り組みに積極的に助成していった。