R3.9 舘山(船岡城址公園)の変遷

 今回、船岡城址公園に隣接する民有地、約10万平方メートルを取得しました。
 これで適宜、舘山山頂西側の樹木の剪定が可能となり、蔵王連峰の山並みが遮られる心配はなくなりました。私は山頂からの蔵王連峰や太平洋、阿武隈山地や白石川の眺望は、未来永劫、後世に引き継いでいくべき柴田町の財産ではないかと考えています。
 一方、戦後の舘山そのものは、時代の変遷とともにその姿を大きく変えてきました。戦後は生活の糧を得るため、畑として耕され、栗や梅の木が植えられました。また、3カ所の石切場からは、石材が搬出されていました。さらに、昭和45年のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」が放映されると、その舞台となった舘山は観光ブームに沸き、多くの観光客が訪れるようになったため、急遽ブルドーザーで山を削り、谷を埋めて突貫工事で観光地づくりが進められました。その時に造られたのが、三ノ丸への車道や駐車場、そしてスロープカーでした。
 しかし、「樅ノ木は残った」の放映が終わると観光ブームは一気に去り、観光客が来なくなった舘山は手を加えられることもなくなり、山全体がやぶと化すだけではなく、粗大ゴミが捨てられるようになってしまいました。
 そこでなんとか、「つわものどもが夢の跡」になってしまった舘山を、再びにぎわいあふれる観光地に戻そうと計画し完成したのが、しばた千桜橋や桜の小径などでした。こうした観光地の着実な整備によって、全国はもとより、約8千人余りの外国人が花見に訪れる観光地として復活することができました。
 このように、着実に舘山の好感度が高まってきているのですが、一方で、最近耳にするのが「あまりにも舘山が開発され過ぎて、在来種が消え胸を痛めている」という声です。しかし、それは的を射ていないように思えます。数十年来荒れ果てたままとなっていた舘山を女性一人でも安心して歩けるように再整備したからこそ、在来種の存在にも気づけるようになったと捉えるのが正しい認識ではないのかと思います。
 これまで、2月に咲く寒紅梅の植栽に始まって、4月のハナモモ、6月の紫陽花、9月の彼岸花、そして12月の光の花と、四季折々に楽しめる花園を整備してきた結果、舘山は年間を通した花咲き山となり、またふるさと納税で17億円を稼ぐ宝の山となりました。今後とも悠久の景観を守りながら、新たな舘山の魅力を創造する不易流行の考え方で、観光まちづくりを進めてまいります。

                                    
                                           柴田町長 滝口 茂

R3.8 海外旅行の楽しみ方

 例年、8月の国際ターミナルは、バカンスを楽しむ旅行者で混雑するところですが、世界中で新型コロナウイルスが蔓延しており、今年は海外からのオリンピック関係者だけの人の流れになりそうです。
 さて、海外旅行の目的で多いのは、「異国で気分転換を図りたい」、「海外のグルメを楽しみたい」となっています。私もこれまで、多くの外国を訪れましたが、その目的のほとんどが仕事でした。
 しかし、仕事の合間に異国情諸あふれる街並みや公園を歩いたり、市場に出かけて現地の人たちの食生活や暮らしぶりに触れたりと、外国ならではの醍醐味を味わうことができました。
 海外に出かける際の心配事は、何といっても言葉の壁です。そのため多くの日本人は海外旅行をする際に、旅行会社が企画したパッケージツアーを利用しています。
 こうした海外ツアーは、現地ガイドが付く団体旅行となりますので、何不自由なく効率的に観光地や名所旧跡を巡ることができますし、おいしい料理を食べることもできます。一見好都合のように思えるパッケージツアーですが、その反面、日本人だけの団体行動のため、現地の人と会話をする機会は少なく、またハプニングに出会うこともないので、海外旅行の印象は薄いものになりがちです。
 私が体験したハプニングは台湾でのことです。台北行きの列車の乗り方がわからずにローカル駅の切符売り場で戸惑っていると、二人の若い女性が片言の日本語で声をかけてくれました。彼女たちは、一緒に台北行きの列車に乗ってくれて、さらに台北駅に着いてからも正面玄関まで道案内をしてくれました。
 その親切さに対し、台湾語でお礼を言いたかったのですが、気後れして話すことができず、改めて言葉が通じないもどかしさを感じたところでした。
 ところが最近、自動翻訳機の性能が格段に進化したことで、お互いの言葉が通じなくても、手軽にコミュニケーションが図れるようになってきています。まさに英会話ができない私にとっては朗報です。
 この自動翻訳機が全世界に普及していけば言葉の壁も低くなり、お互い異なる文化や風習、考え方への理解も深まってくると思います。そうなれば、ガイドがいなくても一人で気軽に現地の人々の中に溶け込み、その土地ならではのグルメや文化、風景を楽しむ一人旅も簡単にできるようになるだろうと思います。
 早くコロナ禍が収束し、再び海外との交流が活発になることを、心から念じています。
                                    
                                           柴田町長 滝口 茂

R3.7  歩く旅のおもしろさ

 コロナ禍の中、三密を避けた新しい生活スタイルの一つとして関心が高まっているのが「歩く旅」です。
 この「歩く旅」、歩くしかなかった昔の人たちにとっては、お寺や神社への参詣はもとより、世の中の見聞を広めたり、新しい知識や流行などを知る上で、人生最大のエンターテインメントでした。
 四国八十八箇所を巡る四国遍路や熊野詣で人々が行き交った熊野古道など、各地には昔の人々が歩いた古道がたくさんあります。江戸時代に書かれた「東海道中膝栗毛」は、まさに旅の楽しさを描いたものでした。
 現代の旅は、交通機関を利用するものがほとんどですが、ここにきてNHKのブラタモリをきっかけに、各自治体における地域活性化策として、「歩く旅」の導入がさまざまな形で検討されるようになっています。
 「歩く旅」のスタイルはさまざまで、ブラタモリのように、まち中に残る古い地図や遺構、地形から当時の町並みの様子や人々の暮らしぶりを想像しながら、知らないことを知るおもしろさを味わえるまち歩きがあります。また、上山市では、健康寿命の延伸やメンタルヘルスの面から、毎日、里山や温泉を巡るクアオルトウォーキングを提唱し、市民の健康増進を図るとともに、健康に興味のある観光客や企業との連携交流を通じて、地域の活性化につなげようとしています。さらに、三陸の山並みや海岸線などの大自然、その土地の歴史や食などを楽しみながら歩く、東北みちのく潮風トレイルや宮城オルレのコース整備も進んでいます。
 柴田町でも、これまで里山ハイキングコースやフットパスコースの整備や、コースマップの作成、さらに歴史観光ボランティアの育成など、「歩く旅」の受け皿づくりに努めてきた結果、おかげさまで少しずつ歩く人が増えてきました。しかし、「歩く旅」への関心は高まってきたばかりですので、これをさらに普及定着させていくためには、新たなしかけが必要です。
 まずは、コースの案内板や道標の整備、コース周辺の歴史や文化の見どころなどの見える化、また、おいしいものを食べながら地元の人と交流できる体験機会の確保など、できるところから取り組んでまいります。
 先人たちが歩いたまち中や里山をのんびりと自分のペースで歩けば爽快であり、新たな発見や出会いにもつながり、心身ともに健康で充実した人生の一助になると思います。
 柴田町から「歩く旅」のおもしろさを伝播させてまいりたいと思っています。

 

                                             柴田町長 滝口 茂

R3.6  防災機能を備えた総合体育館の建設

 6月12日は「みやぎ県民防災の日」です。これは、昭和53年6月12日に発生した宮城県沖地震などを風化させないために制定されたものです。はや、宮城県沖地震から43年、東日本大震災からでも10年が経過しましたが、ここにきて再び、大きな揺れの地震が頻発しており、今後大規模な地震が起こるのではないかと心配でなりません。また、もうひとつの心配ごとは、平成25年に柴田町民体育館が解体されて以来、多くの町民を収容できる避難所が確保されていないことです。
 そこで、柴田町民体育館に代わる大規模な避難所として想定したのが、総合体育館の建設でした。平成24年にスポーツ文化ゾーン整備方針を立て、その建設用地として、議員全員の賛同を得て取得したのが旧不ニトッコン跡地です。
 しかし、東日本大震災後は学校の校舎、体育館、武道館の大規模改修や修繕、エアコンの設置やトイレの洋式化などの事業を優先せざるを得ず、総合体育館建設は遅々として進みませんでした。ここにきて学校の環境整備について、ほぼ完了の見通しが立ちましたので、昨年、陸上自衛隊船岡駐屯地の皆さまの協力を得て土地の造成工事を終えたところです。さらに、今年度においては「実現可能性調査コンサルタント委託料」を予算化し、民間の資金を活用した建設手法を検討することにいたしました。
 平成30年度に策定した柴田町総合体育館基本設計をベースに、バスケットボールコート2面、観客席、シャワールームなどを最低限の標準装備とし、さらに防災機能の併設を募集要綱に盛り込んでまいります。その上で、民間ならではのユニークな提案がなされることを期待するものです。
 来年の3月会議前までには、従来の建設手法と公民連携(PPP・PFI)による建設手法とを比較検討し、柴田町の身の丈に合った総合体育館を建設したいと思っています。
 一方で町民の間には、少子高齢社会が進展する中でスポーツ人口が減っており、「いまさら大きな総合体育館を造らなくても良いのでは」との声があることは承知しております。しかし、“いざ災害”が起こったときに多くの町民の皆さまが、応急復旧が終わるまでの間、安心して避難生活を送ることができる場所を確保しておくことは、行政の責務ではないかと考えております。
 議会の判断がどのように示されるか分かりませんが、早く柴田町のシンボルとなるような防災機能を備えた総合体育館を建設し、”いざ災害”という時に備えたいと思います。

 

                                             柴田町長 滝口 茂

R3.5  地方議員のなり手不足

 4月から新しい議員構成による、柴田町の通年議会がスタートしましたが、今、地方議会で問題となっているのが議員のなり手不足です。柴田町議会でも例外ではなく、3月の町議会議員選挙は無投票となりました。
 なぜ、住民に一番身近で、住民の声を直接政治や行政に反映させやすい地方議員のなり手が少ないのか。その要因の一つに、住民自身が地方政治に関心を持たなくなってきた点が挙げられています。
 国が国民の生活水準を保障する「ナショナルミニマム」が十分に達成されなかった時代、政治への関心はもっぱら政治家に頼んで、少しでも自分が住んでいる地域や団体の利益を守ろうとすることでした。そのため、地方選挙では、自分たちの意に沿った政治家を当選させようと、“津軽選挙”という言葉も生まれる程、激しい選挙戦が繰り広げられました。
 しかし、ある程度ナショナルミニマムが達成されてきますと、住民の関心は地方の政治から、子育て支援や社会保障、環境問題、消費税など、個人の生活に直結する国政へと移っていった経緯があります。
 二つに、地方議員の報酬の問題です。専門職である国会議員や県議会議員とは異なり、市町村議員は今なお、“ボランティアで良い”という考えを持つ住民も多いため、報酬は低額となっています。これでは、若い議員が家族を養いながら常時議員活動を行うことは困難です。さらに、4年に一度、選挙の洗礼を受けなければなりませんので、若い人はリスクを犯してまで地方議員になろうと思わないのは当然なのかもしれません。
 そこで、柴田町議会では、もっと議会や議員活動を住民の皆さんに知ってもらおうと、高校生とのワールドカフェや住民参加型のシンポジウムの開催、PDCAサイクルに基づく予算審査など、率先して議会改革を行っています。こうした先駆的な取り組みは、地方行政の専門誌「月刊 ガバナンス」でも紹介されました。
 地方議員のなり手不足の解消は、こうした改革を通して地方議員のやりがいを知ってもらうとともに、幅広い層の住民が議員として活躍できる仕組みづくりや、議員活動と生活が両立できる適正な報酬を用意することが必要です。
 幸い、今回の選挙では、なり手不足の中にあっても、4人の新人議員が誕生しました。ぜひ、新たな考え方のもとで、柴田町議会の改革がさらに加速し、地方議員に関心を示す若者が多くなることを期待しています。

                                 

                                                                                                              柴田町長 滝口 茂