40年の足跡

【 近代的幹線橋「柴田大橋」開通 】

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1980 年に入ると、日本国内では大都市一極集中によるさまざまな弊害をなくすため、地方分権を推進する動きが盛んになった。また、大都市から地方への縦断・横断 の高速道路や新幹線などの高速交通 網の整備が促進された。また、通勤通学時の列車本数の増加や航空便の増発が進められた。このことが、都市と地方を往来する時間の短縮化を促し、地方の比較 的安価で入手しやすい土地にマイホームを求めるサラリーマンの増加を生み、地方人口の増加につながった。地方市町の魅力が再認識されはじめた。 柴田町も、この推移を一早く察知し、「豊かで住みよいまちづくり」を基本理念とした町づくりを、積極的に推進してきた。

宮城県住宅供給公社との共同施行で約89万平方メートルに及ぶ船迫住宅団地への住宅建築の促進や、区画整理事業を推進し、住宅地の拡大を図ってきた。ま た、農・工・商業、観光の均衝ある発展をめざしたし柴田町は、国県の各種補助事業を積極的に取り入れて、調和のあるまちづくりを進めてきた。

その結果、西船迫、船迫、北船岡、新生町、若葉町など、白石川左岸地区では、一般 住宅の建築がしだいに増加していった。これらの地区の世帯・人口増加と企業進出などにより、通 勤通学の自家用車や産業用貨物などが増え、交通渋滞が予測された事から、その対策として、昭和37年、都市計画街路事業の計画決定を受けていた大橋通 線柴田大橋及び左岸取り付け道路の事業化を急いだ。 昭和53年、柴田大橋及び左岸取り付け道路は県事業として着工され、昭和50年4月17日、4年余の歳月と事業費13億9千万円余を投じ、柴田町民が久しく待望していた「柴田大橋」が竣工し、この日開通 式を迎えた。