数々の彫刻が饒舌に語る、熱き情熱

.仙台市青葉山の天守台に立つ「伊達政宗公騎馬像」の作者小室達は、明治32年8月10日、槻木村大字入間田(現在の柴田町大字入間田)に、後に槻木町長を務める小室源吾の三男として生まれた。

入間田小学校・槻木小学校を経て、大正2年4月に白石中学校(現・白石高等学校)に入学した小室は、しだいに才能を発揮し始め、3年生の時には学校の依頼で、「宮城県立白石中学校乃印」の印章を彫った。

大正8年、白石中学校を卒業して、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑造部に入学した小室は、第4回の帝展に「想」を初出品するなど、めきめきとその頭角を現し、塑造部を首席で卒業。その後、研究科へと進んだ。そしてこの年の第5回帝展(現・美術展覧会)に出品した「洗心」からは弱冠27歳の若さで無鑑査となり、日本の美術界で、その地位を不動のものとした。

その後も次々と作品を制作、発表し続けた小室は、昭和10年が伊達政宗公の300回忌にあたることから、その記念事業として、昭和8年に宮城県青年団から政宗公の銅像制作を依頼された。小室はこれを名誉として、帝展への出品を取りやめ、アトリエを改築するなど、全エネルギーを銅像制作に傾け、準備を開始した。銅像制作にあたって、小室は「馬学」という研究書を読むかたわら、岩沼の渡辺豊蔵氏や横田獣医官からも指導を受け、馬の研究に取りかかるとともに政宗を中心とした仙台藩の歴史の研究などを昼夜をとわずに続けた。

.そして、その年の12月に製作が開始され、約1年半の年月をかけて昭和10年5月に見事、政宗公騎馬像は完成し青葉城址に据え付けられた。政宗公騎馬像の重厚な雄姿を目の当たりにした多くの観衆からの感動の拍手が青葉山に響き渡り、鳴りやむことはなかった。

政宗公騎馬像制作後も小室の創作意欲は衰えることはなく、数々の名作を残したが、昭和28年6月18日、肺結核のため53歳で息を引き取る。死後、小室の作品の多くは町に寄贈され、その大部分がしばたの郷土館や町内の小中学校に保存展示され、小室の作品と偉業を、後世へと伝えている。